よう、元気か?
春やな。今日はな、新社会人なりたてでドキドキワクワクハラハラヌルヌルしてる、今から10年以上前の俺への手紙や。
お前は働き始めて数ヶ月で
「仕事辞めたい…」
って考え始めたよな。そんで結局
「ここは俺の居場所じゃない!俺はもっとすごいことできるはず!」
と、なんやかんや理由をつけて11ヶ月で仕事やめてフリーターになったんやで。そんなお前への手紙や。
田舎から大阪に出てきて念願の一人暮らし&就職
お前はとある田舎から深夜の高速バス乗って大阪に出てきたやん。まだニキビ面やったよなぁ。あんだけ気にしてたニキビやけど、今は全くないで。むしろ乾燥肌が気になってハンドクリーム顔に塗ったら下まぶたの皮膚がただれてしもてな、大変なことなってもうたわ…。
話がそれたけど、高速バスで大阪に向かい、早朝の難波について御堂筋線のってあびこ駅で降りたよな。そんで家賃3万のボロボロアパートのカギ、ワクワクしながら受取に行ったよな。風呂は正方形でひび割れてるしお湯も出ーへんしシャワーもないし、トイレは三角やし…今思うとほんまボロかったけど、まさに心は錦やったの覚えてるわ。
兄貴たち2人と年が離れてたから、妙に早熟というか独り立ちしたい願望が強かったもんな。念願の一人暮らし、おめでとうさん。
さあ、仕事頑張れよ。
小売店に就職し販売員として社会人スタート
お前は頭悪いし成績も下から何番めって感じやったわな。工業系への就職率がほぼ100%みたいな男子校に通ってたお前はアウトドアが趣味で、何を思ったか就職情報誌anの関西版を取り寄せ、大阪のアウトドア用品店に無理やり就職したよなぁ。今考えたらけっさくやで。ようやるわほんま。
クソ田舎で育ち、土方のバイトしかしたことなかったお前やけど、持ち前の弟気質と作り笑顔で早々に職場に馴染むんやで。職場は男子校みたいなノリの男たちと熟れに熟れた熟女だけやから、変な期待はすんな。
接客業に四苦八苦、安月給で自炊の日々
問題は仕事内容やな。接客業ってのは奥が深いもんなんやけど、まあ高卒のお前がそんなこと考えてるわけないわな。浅はかな考えとは裏腹にミスの連続やで。客に商品のこと聞かれても分からんことばっかで、今考えたらそうとう売り逃がしもあったわ。
給料もやっすいで〜。たしか手取りで14万円くらいやったわ。しかも休みは月に5日くらいでな、もともと料理好きやったお前は日々もやしを炒めたりキャベツを煮ることになる。ショップ99(hローソン100の前身)との出会いは衝撃やったわ。
そんなショップ99も今は無くなったけどな。
文句ばかりつのる日々
仕事が出来ないのはお前の実力と努力不足なくせに、当時のお前は
「店長はなんもわかってないっすよね」
「もっといい仕事あるっすよね」
「この仕事向いてないっすわ」
と、先輩たちと共に会社の文句ばっかり言うてたわ。今考えたらあの人たちはバイトでな、その後違うとこに就職する人たちやったんやで。まあええけど。
言い訳を並べて自己正当化し11ヶ月で退社
今思えばたった11ヶ月やったんやなぁ。
9ヶ月目あたりからとにかく悩みまくり、鬱になるんじゃないかって不安になりながら、やめるか続けるかを考えることになる。そして最終的に
「もっと俺には向いてる仕事があるはずだ。きっとこの会社はダメな上司ばかりだし、先は短い。だから俺はやめてフリーターになりやってみたいことにチャレンジする」
と、会社がいかにクソか、上司がいかにクソかってことを並べ、勝手に会社の将来を評価し、自己正当化してやめるんや。
クソ上司がはびこるクソ会社のその後
お前が
「クソみたいな上司ばかりだ!」
「こんな会社そのうち潰れる!」
っていうてた関西ローカルなそのお店、あれから10年以上経ったからいうけど…めちゃデカくなってるわぁ〜。店舗数も増えて大きくなってますぅ〜。お前の見る目マジないわぁ〜、調子のんなよアホ。
その後の紆余曲折はエグいから覚悟しとけ
自分の可能性にかける、と言えばカッコええけど、ただただ投げただけのお前はその後、なぜかスキンヘッドになるで。そんでスキンヘッドが恥ずかしくてラブホテルの清掃のバイトをすることになる。さらに貧乏生活を抜け出したくて夜中のガソリンで働きだす。そこでパチスロ好きな先輩に誘われて北斗の拳にハマりまくり、もっとも貧しい1年間を送ることになる。ガソリンスタンドの治安も最悪で暴走族に絡まれたりもする。その後さらに自分の興味のおもむくまま、再び販売業に戻るで。アパレルの販売員になるんや。そこでも文句ばっかり言うてたけど、なんやかんやオーナーが優しかったり友達にも恵まれるわ。そしてついに5ねんのフリーター生活を抜け出してインターネット系の会社に再就職することになるんや。そこは9時から23時まで働いて休日出勤もして手取り15万のブラック企業や。でもな、それまでクソみたいに逃げ回ってたお前は「金なんかどうでもいい!とにかく修行や!」と覚悟を決め、気がつくとその会社の関連企業で社長になるわ。そしてその後、社長のくせに会社やめるで。
どういうことやねん、お前の人生。ワヤやな。
ちなみにな、これらの経験はすべて笑いのネタになるからめっちゃええ経験やで。大阪の人らはこういう話大好物やからな、ラブホで見かけた血の海や覚★剤の話なんてオオウケや!
人生の選択を人に委ねんなよ
まあ、あのときの選択が正しかったかどうかはわからん。あのアウトドアショップは大きくなったから、残ってたらもっと出世したかもな。でもな、あのときのお前があそこに残ってても、結局は腐っただけなような気もしてる。お前みたいなやつがやめ、本気の人たちが残った、だから大きくなったんやろうしな。
今から思えば本当に遠回りばっかりしてるなぁ、と思うわ。お前はいろんな職場を転々とするんやけどな、職場の上司や先輩からは毎回同じこと言われんねん。
「お前、自分の意見なかなか曲げへんよな。めっちゃ頑固やな」
って。言われてるときは嫌な気分やったで。
でもな、それってつまり、どんな愚かな選択でもすべて自分で納得して自分で決めてきたんや、お前は。それだけは誇りに思える部分やで、ほんまに。
お前はどんな失敗も人のせいにはせずに苦悩や葛藤を重ねてたで。ときには自分を責めすぎて落ち込むくらいやったわ。
自分で考え自分で決め自分でケツを持つ。それが自己責任や
人生がどうなるかなんて誰にもわからんのや。ただな、どんな結果も原因があって、それはお前自身の選択や行動やねん。その選択や行動を他人の意見に流され、他人に決めてもらったらアカンねん。そうすると失敗した時に他人のせいにしてしまうんや。
そんでやれ世間が悪い、世の中が悪いって言って責任転嫁するようになるんや。そうなったらお前、おしまいやで。
自分で決めて自分でケツ持って生きるべきなんや。それが自己責任や。
最後に
こんな手紙を書いたんはな、30過ぎて時々思うことがあるからやねん。
「20歳ごろの、ガムシャラで独りよがりやったギラギラした感じ、忘れてないやろか〜」
ってな。
やから思い出を振り返るついでに手紙にしてみた。まあ、ぶっちゃけるとこの田端はんって人の記事に感化されてパクっただけなんやけどな!(田端信太郎はんはおもろい人やから要チェックやで)
まあとにかくな、人生は実験やで!お互いこれからも色々チャレンジしてみようや。
ほなな!