小さい会社やお店のウェブサイト制作をするフリーランスとして独立し、5年以上が過ぎた。仕事内容としてはウェブサイト(ホームページ)の提案からデザイン制作、納品後のサポートという感じで全体的に請け負う形でスタート。現在は制作よりも、すでに完成してるホームページの運用を手伝う方が多い。コンサルではなく外部のウェブ担当。
サイトを作ったままで宝の持ち腐れになってるところって結構多いから、デザインもコーディングも出来る立場としてはサポートしやすく、しかも喜ばれる。そして何より、成果が出るところを一緒に体感出来るからシンプルに楽しい。
そんな僕は、独立前に小さなウェブ制作会社に5年ほど勤務してた。今で言えばブラック企業といえるような職場環境だったけど、作ることが好きで楽しかったから恨みはない。(当時は文句ばっかり言ってたw)
むしろ今考えると得るものが多かった。そんな制作会社(内容としては広告業に近い職場)で働いてよかったことを書いてみる。
※先に書いとくけど、ブラック企業を肯定する気は全く無いです。あくまで個人的に得たものって話。
- 今で言う【ブラック企業】に入社!でも好きな仕事だったから別に文句はない
- 仕事内容はホームページを使った広告業のようなもの
- 僕がディレクターとして取材に行ったりもした
- 小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(1) 全領域の仕事が経験できた
- 小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(2)自ら学ぶクセがついた
- 小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(3) いろんな仕事と人に出会えた
- おわりに
今で言う【ブラック企業】に入社!でも好きな仕事だったから別に文句はない
一応どんな職場だったか説明。
10人足らずのホームページ制作会社で、入社当時はまだdivというタグの使い方すら怪しい、tableタグ全盛のころ。基本的に営業会社がとってきた案件を請け負う下請け制作会社だった。どのあたりがブラックかといえば、まず残業代は1円も出なかった。(なんとか手当ってのが予め2万円くらいついて手取り15万円ほど 笑)
残業代は出なかったけど、毎朝9時には仕事がスタートし、22時〜終電で帰宅する日がほとんど。納期がどうにもこうにもならない時期は帰宅後に仮眠し、朝まで家でコーディングしてまた出社、なんて日が一ヶ月くらい続いたりした。泊まってる人もいた。
土曜日はもちろん休日出勤!(≧∇≦)b
当時の僕は20代中頃で、フリーター暗黒期を抜けるためなんとか再就職した矢先だったから、どんな悪条件でも気にならなかった。(文句は言いまくってた)
▼終電でも休日出勤でも、とにかくこういう暗黒時代に戻りたくなかったんですよ 笑
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仕事内容はホームページを使った広告業のようなもの
制作会社って言ってもイマイチわからないかもしれない。実際、いろんな制作会社があるし。
僕が働いていた職場は、小さなお店や会社のホームページを作るんだけど、そのホームページの目的は基本的に集客。つまり、ネット上にチラシを作るようなもの。
インターネット上にホームページを開設し、検索エンジンやなんやからアクセスを集め、お店や会社に問い合わせなり注文なりを集めることで価値が生まれる。
当時はmixiくらいしかSNSもなく、食べログみたいなものもあんまり無くて小さなホームページ制作のニーズが多かった。
具体的な仕事の流れ
僕の働いてたところは営業会社の下請けというスタイルだった。(社長同士が知り合い)
その営業会社がガンガンとってくる案件を、僕らが取材し写真やら情報などの素材をあつめ、デザインし制作、アップロードし納品する。契約とアフターフォローの窓口は営業会社。つまり、納品後はお客さんと連絡を取ったり会うことは基本ない。
流れはこんな具合
- 営業会社から案件が来ると、ディレクターという肩書の板挟み役がお客さんに電話。取材日(現地での打ち合わせ日)をセッティングし、伺う。
- お客さんから要望を聞き、どんな商材を売り出すか、どんなデザインでどういう文言を載せるか、などなどを現地打ち合わせ。
- 会社に持ち帰りディレクターが議事録を作成し、デザイナーに落とし込み。
- デザインが出来上がるとお客さんにディレクターが連絡し確認してもらう。
- 「イメージとちゃうわ!」とディレクターがお客さんから怒られ、デザイナーに修正依頼。古株デザイナーの場合は嫌味と舌打ちを食らわされる(数回ループ)
- デザインOK後、コーダーがコーディング。ディレクターがチェックしミスがあればコーダーに修正依頼。古株コーダーの場合は嫌味と舌打ちを食らわされる(数回ループ)
- どうにか納品するも、営業会社から「なんかお客さんが気に入らん言うて怒ってますわ、どういうことなんすか?!」とキレられる。
- ディレクター、挟まれすぎて潰れて退社
大体はこんな感じだ。(わりとマジでこんな流れが多かった…)
僕がディレクターとして取材に行ったりもした
僕はもともとデザイナーとコーダーの兼任のような立場で入社した。当時はまだウェブ制作会社も黎明期で、今ほど分業化出来てなかったことと、CSSなどの技術が主流になるタイミングでまだ出来る人がかなり少なかった。だから「僕、デザインもCSSも出来ますよ!」とハッタリをぶちかまして入社した。CSSは入社が決定してから必死で独学。笑
そんな感じで入社したけど、残業問題やらディレクター高負荷問題やらエロサイトサーバーダウン問題やらいろいろと有り、人が辞めまくったりクレームの嵐が吹き荒れてた。
そこで、接客業やサービス系のしごとばかりしてきてた僕が、ディレクターとして打ち合わせに駆り出されることも増えてきた。自分で言うのもなんだけどお客さんからの評判はとてもよかった。(当時はニコニコふんわりヘアで爽やかだったのだw)
小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(1) 全領域の仕事が経験できた
小さな制作会社で、なおかつブラックだったおかげで専門職なんていう区分けは無く、終戦間近の日本のごとく「おまえ、竹もって突撃しろ!!!」という具合にみさかえなく全部の仕事をさせられた。
この無能な管理状況のせいで多くの人が散っていった。けど、僕は背水の陣だったから生き延び、おかげさまでデザイン・コーディングだけでなく、ディレクター業や取引先へのプレゼン、プログラマーの開発の手伝い、クレーム対応や包丁を持ったオバサンからの恫喝などを経験できた。後半は子会社代表をする機会があり、マネジメントやお金の管理など出来たのは大きかった。
器用貧乏という言葉の通り、なまじ全般的に出来る分、独立後は安請け合いしすぎて苦労してしまったけど、脱却できた今はその苦労もいい経験だったと言える。
※それぞれを専業でやってる人たちには敵わないしリスペクトしております
小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(2)自ら学ぶクセがついた
小さな制作会社でも、しっかりしてるところは優秀な研修システムみたいなものがあったり、レベルの高いクリエイターが居たりする。
でも僕が働いてたところはそういうわけでもなく、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング=実務をしながら職業教育すること)の名の下の放置プレイだった。「うまいことやってみて」という一言を残し放置されるわけだ。そりゃバグだらけでクレームが発生して当然。
でももう大人だ。「**さんが教えてくれなかったから…」なんて言ったところで許されないことくらいわかってる。このころの僕は3つめの目が開眼していた。なぜならデール・カーネギーを読んでたからだ。
他人を変えようなんて思わず、俺が変わるんだ!!!!と、意識の高さが極みを超え、猛烈に独学に励んでいた。入社3ヶ月ですでに他の誰よりもコーディングの知識がついていたくらい燃えていた。
この当時24歳だったけど、それまでナマケモノだった僕にとって本当に転機だったと思う。自ら学びピンチを切り抜ける、自ら学びチャンスをものにするという体験を短期間にたくさんできた。
これは組織化された大きな会社や、ハイレベルな人が揃う職場では僕みたいな業界未経験者は難しかっただろう。ブラック状態ゆえのネガティブな空気感、荒んだ職場環境だったからこそ、ちょっとした一工夫で抜きん出ることができたように思う。
小さなブラックweb制作会社で働いてよかったこと(3) いろんな仕事と人に出会えた
僕にとってこれはとても貴重な体験だったと、最近よく思う。
制作会社で働く前は販売の仕事が多かった。だから出会った人の数で言えば結構多い。でも、釣具屋時代は釣りの話、服屋時代は服の話が多い。でも、制作会社に入りディレクターとして打ち合わせで出会うと、100%仕事の話をする。そりゃそうだ、仕事の集客・宣伝のためにホームページを作るんだから。
ときには東京の広告代理店の人と話すこともあった。華やかな感じがしてカッコ良かったし、DA.YO.NE以来に「花屋君って**だよね」の洗礼をうけた。シュッとしてた。
そのいっぽう、山奥で暮らしながら流木を拾い、それを数千円で売って生計を立てている人のサイト制作もした。田舎出身でよく近所に流木があった僕としては、流れ着いた流木を通販で売るなんて衝撃的で意味がわからなかった。
さらに、北陸で小さなお店を営んで楽しく生きている人や、地方都市の外れの小屋でオールドカー専門にリストアしてる渋いおっちゃんもいた。霊媒師や占い師もいた。
連絡先を交換してるとか交流があるとかは全然ない。お互い名前も顔も忘れてるレベル。言い方は悪いけど、制作業務の中で出会い・過ぎ去った人たちであり、向こうからしても僕は通り過ぎた他人の中に1人だと思う。(最初の方にも書いたけど、契約やサポートは営業会社。だから僕らは納品後に会うことはない。会う時はクレームの謝罪だけだ…)
そんなこざっぱりした距離感が僕にはちょうどよかったし、多種多様な職業や生き方の人に出会えたのはいい経験だった。
こないだこの本を読んでとてもおもしろかったけど、ここに出てくるような人たちとすでに出会っていたことを再認識できた。
おわりに
スーツをビシッと着こなし横文字を駆使して華々しく稼ぐ世界もあれば、流木を拾って売ったり、小さなお店ながらネットを活用してしっかり稼いだり、好きな車の修理だけをして生計を立てたり…とにかくいろんな働き方がある。(どっちが良いとかそういう話ではない)
好きなことをして生きるってのがごく当たり前にありえるってことを学んだ。
学んだ、というよりも最近になり過去のたくさんの点が線でつながってきたようにも思う。過去の職業経験だけを基準に考えるんじゃなく、本当にやりたいコトの本質を考え、そこに得意なコトを掛け合わせることで収入を得ることも可能だったりする。実際、僕自身もフリーランスとしての生き方を模索してる最中だけど、いろいろとチャレンジしてみて仕事になってることも多々ある。独立当初は徹夜してでも働こう!的なスタイルだったけど、僕の性格的にマイペースに好きなことを中心に仕事をするスタイルが合うことような気がしてる。
頭で考えるのと実際に行動を起こすのはどっちがどうとかじゃなく両輪。でも、僕みたいに学も人脈も経験値もなんにもない野良犬みたいなタイプは行動力が重要。バカが偉そうに理屈こねてもなんにも生まれないというのが現実。笑
そういう意味でも、行動力が身についた制作会社の経験は本当によかったなぁと思えてる。
あ、それと制作会社で今の嫁さんと出会えたのもかなり良かったこと。あんな美人が僕を選んでくれたのはきっとブラック企業ゆえの混乱・錯乱のおかげだろう。笑