ウソをウソと見抜けない人にfacebookを使うのは難しい、と思う話。

ウソをウソと見抜けない人にfacebookを使うのは難しい、と思う話。

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ウソをウソであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい、というのは元2ちゃんねる管理人、ひろゆき氏(西村博之氏)の名言というか、ごもっともな指摘。

 

今日はちょっとそのあたりに重ねて、最近facebookなど見てて思うことを書いてみます。

 

あ、スミマセン、元画像がこちらです。

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感動話や陰謀論にしょっちゅういいね!するひと達。

僕は15年くらい前、運営してたネット掲示板で『死ねカス』と書かれた経験があります。まだネットが普及しきってない時代。

 

それで落ち込むかって言うと全然そんなことはありません。まあむかつきますけど。

 

何故かと言うと、匿名が前提のネットではそれが普通だと思ってたから。(このあたりの運営ウラ話はまだ今度書こうかと思います)

 

かなり昔からアングラ系掲示板なんかを徘徊してたクズネットサーファーの僕は、基本的にネットの情報を信じてません。

特に感動話陰謀論のような話、ヤマザキのパンは有害物質をつかってるからカビない的な話などなど。

 

根拠のソース(出典元)があまりにも不明瞭だったり、明らかに答えありきの偏った決め付けによって書かれてたりすることが多いので、そもそも読む気すらありません。

 

それが最近、facebookではしょっちゅうそういうクソ話・デマにいいね!をしたりシェアする方たちが多いように思います。

 

 

人は見たいものしか見ない、というのはまさにそのとおりだなと思うんです。

 

 

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facebookは肯定的な意見しかほぼコメントされない、ということの怖さ

たとえば牛乳を飲むと癌になる、といういかにもな謎情報があるとして、それをシェアする人はきっとそれを信じてるんだと思います。

 

つまり、自分の思想や思考を肯定している記事だからシェアするわけですよね。

 

そしてここからが厄介だな〜と思うのが、facebookだとその意見に対して同調・同意するコメントがほぼ100%だということです。

 

実名制ゆえの結果だと思います。さすがに面と向かって「それは違うね。ガセネタだよ」なんてほぼ言われません。実社会でも、本当に信頼している相手なら『目を覚ませ!』となりますが、薄い繋がりの人に対しては、めんどくさいことなりそうですし、スルーします、僕の場合。(薄情なのでw)

 

よっぽどネットで有名な人(永江一石さんとかやまもといちろうさんとか)だと、批判コメントをfacebookの本人投稿欄でも見かけます。

 

しかし、だいたいこの否定コメントをしてるのは偽アカウントだったり偽名だったりします。

 

つまり、有名でもない一般的な人の場合、否定するようなコメントが付く可能性はかなり低いと思うんです。

 

 

イエスorサイレント状態。(ノーと言われない状態)

 

その点、ツイッターはてブブコメなんかを見るとfacebookとは間逆なコメントに溢れてたりします。(その批判すらも根拠に乏しかったりしますが、匿名性時代はこんなもんでした)

 

こんなタイミングでlikeじゃないねボタン(どういう表現になるかにもよるけど)を搭載すると、ネットで否定される経験の無い人達はかなり荒れそうな気もしますが、どうなんでしょね。

 

そもそも疑った気持ちを持ってネットとは接するべき

僕が100%ウソとホントを見分けられるわけではないし、僕自身間違った情報を信じることもあると思います。

 

でも、大前提としてネットは疑いを持って接するべきなんじゃないかな、なんて思うんですよね。性悪説とでもいいましょうか。

 

特に、なんでもかんでもいいね!してるような人は危険というか、僕は信頼出来ないな〜と思うことがあります。

なんとなくですが、これまであんまりネットに接してなくてスマホ普及にあわせて本格的にネットに参加してるような人に多いように感じます。

 

 

以上、単なる持論ではありますが、最近なんだかな〜なんて思うので書いてみました。

 

 

 ▼こんな本を読むといいかもしれませんね。これすら本当がデマかわかりませんが。 

釣られたら恥ずかしいネットのデマ150

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