清水富美加(千眼美子)さんが幸福の科学に出家するにあたり【芸能事務所で月収5万円で働かされた】という暴露が話題だ。実は僕も月収5万円で働いて一人暮らししてた経験がある。ラブホテル清掃員の貧乏バイト時代のよもやま話。
1983年に山口県で生まれ、偏差値40の高卒、大阪に出てきて就職するも1年で逃げるように退職、そしてフリーター。これは僕の輝かしい経歴だ。
フリーターを脱した後、サラリーマンを経てフリーランス(自営業)として6年くらい生存してる。気がつけば嫁1人、子供2人の4人家族で楽しく生きてる。幸福を科学したいくらいだ。
そんな僕は月収5万円で一人暮らしをしてたことがある。
1年で就職先を逃げるようにやめ、ドロップアウト。暗黒期が始まる
18歳で社会にでてから今まで、およそ4つの時期に分かれてる。
- 新社会人期(1年間)
- フリーター暗黒期(4年間)
- ブラック企業がむしゃらサラリーマン期(5年間)
- 子持ちフリーランス期(←現在進行系で6年目)
※厳密には3.8年とか4.5年とかだけど、まあざっくり
各期はさらに細かな節・章にわかれてる。(職場の熟女に『あんた、なんか生臭いわね』と言われた日、など。)
そんな中でもフリーター時代は色々と経験した。そもそも僕は就職し、田舎から大阪に出てきて、1年で逃げるように辞めた。いろいろ理由を付けてたけど、あれはただの逃げだ。
逃げるは恥だが役に立つのかどうかはしらんが、逃げてドロップアウトした結果、まだ生きてる。(仕事いただけてる皆さんに心から感謝しております m(_ _)m )
暗黒期の初期、ラブホテルで働くことにした
最初に就職した職場が販売業だったため、身だしなみにはうるさかった。
さらに言うと、高校も男子校で茶髪とかそういうのはやたら厳しかった。チ◎コを出しながら学校内をうろついても何も言われないのに、茶髪にすると、耳毛の飛びてた柔道部の先生に竹刀でぶん殴られたあと、坊主にされる。(まあ、僕はヤンキーでもなんでもないただの帰宅部だったから、そんな目に合うこともなく過ごしてた)
そんな学生時代の反動もあり、都会に出てきて悶々としてた僕は、退職翌日に金髪にした。そしてそれから数日、ノリで坊主にしてしまった。アホ丸出しの行動としか言えない。
これがラブホで働く理由になった。
どういうことかというと、坊主にして気がついたのが
『絶望的に似合ってない』
という現実。理想では金髪坊主を赤く染め、スラムダンクの桜木花道
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みたいにしたかった。けど、実際は違った。なんと表現していいのかわからないけど、とにかく似合ってなかった。
19歳になる直前とはいえ、まだまだガキンチョ。妙なプライドがあり、
『こんな頭さらして仕事なんて出来ない。何か裏方的な仕事を探そう』
そして見つけたのがラブホテルの清掃員だ。場所は天王寺の茶臼山。
労働時間は短いけど、とにかく重労働な職場
ここだけの話だが、当時の僕はラブホテルに入ったことがなかった。
童貞は高2の夏の砂浜に捨ててきたけど、僕はラブホテルを使ったことがなかったのだ。だからどんなところかも、何をするのかよくわからずに面接に向かい、即OK。翌日から働き始めた。
僕が担当するのは朝9時〜15時までの全部屋清掃。ようするに、みなさんが朝まであんなことやこんなことをした部屋を、がっつり掃除する仕事。
労働時間も短く、月収にして5万円前後。
短時間だけど、とにかく重労働だった。(1時間くらいの休憩で来てくれるお客様はとても楽だった。ありがとう)
ぐっちょりと濡れたシーツをリネン袋に詰め各階を移動。エレベーターは使用禁止!
清掃は4人位でグループになり、それぞれがミッションを振り分けられる。
- 風呂を秒速で洗う係:1名
- シーツ類を剥がして秒速でベッドメイクする係:2名
- ゴミ掃除&シーツ類を袋にいれ背負い、秒速で移動する係:1名(←僕)
秒速、という文字を繰り返し使った理由がわかるだろうか?
それは、僕らの仕事はとにかく
スピード命!だったからだ。
もちろん、いい加減な仕事をしたり適当にするということはない。質を担保しつつ、とにかくスピーディーにミッションをインポッシブルしないとトム・クルーズなのだ。
そして新人はまず荷物運び。
トルネコのような大きなリネン袋に、汗やいろんな汁が染み込んだシーツを詰め込み、階段を昇り降り。(袋は2つあり、片方は新しいシーツ類、もう一方は使用済み。つまり終始重たい)
お客様との接触はNGだから、絶対にエレベーターを使ってはいけない。もし通路でお客様に鉢合わせしそうになると、スタッフ全員で目配せし、陰に隠れる。そんな日々だ。
風呂掃除係に昇進。清掃クオリティと速さは1番だった
人数が多いときや、部屋が埋まってて掃除する部屋が少ない時、新人はチャンスだ。なぜなら
『いっつも荷物もちばっかりやね。今日は掃除する時間に余裕あるし、風呂掃除してみる?』
という千載一遇のチャンスを貰える。そして僕は見事にものにした。幼少期から家の風呂掃除をしてたこともあり、非常にスピーディーかつクオリティの高い仕事をやってのけ、昇進した。(給料とか一切かわらない、ただのレベルアップ)
その後もシーツ係に任命されればミッションをコンプリートするなどし、どんどんやらされる仕事が増えていった。
レベルが上がったからと言って、決して楽にはならないシステムだった。
ここでは書けないようないろんなモノや光景を見た
ここでは書けない、と言ってもったいぶるつもりはない。ただ、ブログの規約とかを考えると、どこまで書いていいのかわからない。
部屋の一部が真っ赤になってたり、映画でしかみたこと無いような、細い注射器が大量に放置されてたり、嗅いだことのないニオイ(と吸い殻)が充満してたり、まあそんな感じ。
スキルアップするにつれ仕事が増える日々
ラブホテルのバイトというのは、おばちゃんや訳ありフリーター(リストカッター女子やサイコパス君など)以外にも、ひやかし半分のオッサンなんかがたまに来る。そしてすぐ辞めていく。(おっさんはとにかく使えないのが多かった)
そうすると、人手不足の日やスキル不足の日が増える。
僕は一人暮らしをしてたし、親には
『俺は自分のチカラで生きるから、仕送りとかいらない!!』
と、イキって強がてったから、とにかく稼がないといけない状況。だから無欠勤。
その結果、毎日重たい荷物運び&風呂掃除&シーツ交換という、すべてを担う機会が増えた。
ラブホテルでの仕事がたたり、ギックリ腰に
その結果、出勤する前に家の流しの前で椅子に腰掛け、(当時吸ってた)タバコを吹かしてから立ち上がろうとすると、立てなくなった。
意味がわからなかった。でもとにかく立てない。幸いにもポケットには携帯が入ってた。ラブホテルに電話し
『すみません、なんかよくわからないんですが、椅子から立ち上がれなくなってしまって…』
と伝えると、
『ギックリ腰ちゃうか??!今日は休んどき!』
と言われた。ギックリ腰ってイメージ的に
重たい荷物をもった時になるんじゃないの???
と思いつつ、どうにも立ち上がれず、這いつくばって布団に戻った。(病院にいくと、やはりギックリ腰だったため、ラブホ清掃員をやめることにした)
月収5万円での一人暮らしっぷり
ラブホでの話ばかりになってしまった。
ここに月収5万円でどうやってくらしてたかを書いておく。
前提として、家賃 3.5万円と携帯代5,000円(当時のパカパカ携帯より格安SIMな今の方が安いのか…)ほどの、約4万円が絶対にかかる。
そんな僕は月収がだいたい5〜6万円だったラブホ時代、チューペットを凍らせて1日1本それだけを食べたり、薄い食パンを2日で1枚食べたりしてた。
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自炊をする余裕すらなかった。気持ち的に。
死ななかったのは奇跡にも思えるけど、実はラッキーなことがあった。
ひとつは、4ヶ月ほどでぎっくり腰になったため、5万円期間が短かったこと。もう一つは、冷やかし半分で来てたおっさんの1人に『自称コンサル』がいて、2日に1回は晩飯をおごってくれた。おかげで生き延びることができた。
結論:5万円生活はキツイ。けど生きようとする知恵や根性はついた。
まあとにかく、5万円で生活するのはけっこうキツイ。特に一人暮らしはなかなかにキツイ。
※ちなみに、ラブホバイト以降は5万円よりも収入あったけど、ギャンブルにハマってしまい、フリーター時代はずっと貧乏な期間が続いた
実家は貧乏じゃなかったけど、一人暮らしを始めて貧乏を経験したことは今現在、とてもいい経験だった。(雑草のごとく、しぶとく生きるための生命力がかなりついた期間だった)
あの期間の経験のおかげで、フリーランスとして独立してから今まで、なんだかんだと自ら仕事を作り出したりし、お金に得て生活できてる。(と、信じてる。笑)
▼業種は違うけど結構似たような体験が多くて面白かった
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親切なオジサンに出会えてよかったですね〜
まぁね…。実はこのあと、このオジサンから『デリヘルを一緒に開業しよう』って迫られるんだけども…。