人生は『ごっこ遊び』なのかもしれない【思考はやっぱ現実化する】

人生は『ごっこ遊び』なのかもしれない【思考はやっぱ現実化する】

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一昨日と昨日は初の愛媛でプチひとり旅。ほとんどの時間歩き続けてたんですが、そんなときに感じた【人生はごっこ遊びなのかも】ということを書いてみます。

何かになりきり、演じることが人生かもしれない

  • 社会人ごっこ
  • サラリーマンごっこ
  • 社長ごっこ
  • 自由人ごっこ
  • 天才ごっこ
生きることはごっこ遊びの延長かもしれないって思ったんです。揶揄してるとかそういうネガティブな意味ではなく、いい意味で。
いや、なんか妙に思想強くてすみません。(苦手なかたはそっと画面を閉じてくださいませ)
ようは自分の在り方をどう定義し思い込むか。
ごっこ遊びは自分がその役柄になりきることが前提。たとえば『僕はカメラマン!』と思い込むこと。
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自分が何者か悩むより『これを演じてみよう』でいいのかも。

ごっこ遊びは演技なわけですが、強く思い込めば人は役そのものが自分自身になるんですよね。
『いつも寝坊する自分』
と思い込み、板についてきたらかなり高確率で遅刻します。笑
でも逆に
『5分前には来てる俺』
を演じ続けたらいつの間にか他人に対し
『5分前集合はあたりまえでっしゃろ!激おこプンプン丸DXやでしかしっっ!!』
となる感じ。

思考はやっぱ、現実化する

なんだかんだ、思考は現実化するんだなぁと思うんです。100パーセントは実現しなくとも、方向性は思考が決める
▼この本は名著なのでマジでオススメ
▼マンガ版もあるらしい
変な喩えですが、ノンスタイルの井上さんってナルシストだなんだ言われますが、モテるんですよ。正直イケメンとかじゃないけど『自分はモテる』って思い込んでるから、立ち居振る舞いも含め、方向性としてそっち側に向かうんだろうな、と。
まあとにかく、何かに悩んだときは【本当になりたい役】を心から演じればいい。

ただし、心と身体のバランスが悪いとダークサイドに落ちる可能性もある

今回の記事は愛媛をてくてく歩きながら思い浮かんだんですが、同時に『可能性は無限大とは言っても、心と身体のバランスは大事』っていうことも考えました。あとは向き不向きもあると思います。
アイドルやスターはまさにそうで、最初はがむしゃらにやってスターになり、気が付くと『あのスターはこういう人だ』というイメージが世間に浸透します。
その作り上げられたイメージと本当の自分があまりにかけ離れてくると、心と身体のバランスを崩し、ダークサイドに転落することもあるんですよね。
まさに今の清原さん。
今朝こんな記事を見たんです。ちょっとグッと来ました。感動とかではなく『辛かったんだろうな…』っていう思いがこみ上げました。

『清原和博という名前を恨んだこともあった。』

「僕自身は弱い人間です。(中略)それなのに、岸和田の清原が甲子園でいきなり全国区の清原になり戸惑いがあった。世間が清原を見るのは常に拳を振り上げているイメージ。だけど本当は、怖く見せてバリアを張るのに必死だった」
「現役時代は、どんなにファンやマスコミから悪く言われようとホームランを1発打てばすべてが挽回できた。バット一振りでなんでもできる世界だったから。ただ、引退してしまうと、いろんなことでネガティブに見られても、それを挽回する方法がない。清原和博という名前を恨んだこともあった。この名前がずっとついて回ってきて、何をやっても何か言われる。この名前を背負っていくことが嫌だった」
出典:清原容疑者 去年3月の取材に語った内容とは NHKニュース
薬物やるのは100%アカンこと。
でもこのインタビューを読むとわかりますが、清原さんは『暴君・清原和博』という役を演じざるおえなかったんですよね。(もちろん、自分で選んだ道なんだろうけど虚像が大きくなりすぎた)
そしてそのキャラとしての清原と、本来の清原さんはバランスがとれなくなり、薬物につながっていくっていう。
ミーハーながらに結構好きだったので、ショックでもあるし切なくなりました。

心身のバランスを見ながら、自分にあった『ごっこ遊び』をしたい

人生はごっこ遊びで、そこへの没入度合いが差を生むって言うのを息子見て学びました。
子供が必死になって料理人や何かになりきってる姿と、平日に仕事休んで知らない街をフラフラ歩いてる『自由人ごっこ』してる自分が重なったんですよね。
自分らしさなんてものはよくわかりませんが、ごっこ遊びを続けてたら自分らしい色がにじみ出てくるんじゃないですかね?
今までの自分に囚われず、ごっこ遊び感覚でいろいんなことにチャレンジしたいなぁ〜って感じた愛媛旅でした。おしまい!

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