【オナラ幸福論】他者評価より自己評価が重要

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他人から「幸せそうですね」「楽しそうですね」と言われて悪い気はしない。でも、キラキラ幸せそうに見える人が本当に幸せかはわからない。他人の目や評価を気にし過ぎてるより、自己満足度を上げるべきかなぁと思う。

 「くら寿司に行きたい!」と前日から楽しみにしてたのに、店の手前で力尽き眠る長男。わたくしは空腹でツライのでこのブログを書きながら気を紛らわしております。

 

凄いと思われたい、という不幸

記憶をなくす程度には酒に溺れてた僕が酒をキッパリやめて2ヶ月半。ノンアルすら飲んでない。

そんな僕は最近、かなり元気だ。体力的にも精神的にもポジティブな気分。はたから見れば意識高い系かもしれない。

このごろすごく思うんだけど、他人から羨ましがられること、凄いと思われることに固執してると、結局不幸になる。

たとえばSNSとかで金持ちアピール(マウンティング)したいからか、プロフィール欄に年収(ブロガーの場合はPVとか)を明記してたりする。すこし観察すれば盛ってるのもすぐわかる。

そんな盛り土状態でも、羨望(幸せそう、楽しそう)や嫉妬を下の層から集められる。

でも、そうやって羨望を集める人も、よほど上に位置しない限り、ちょっと探せばさらに凄い人は山ほどいる。そして比較し落ち込んで劣等感を感じる。

 

幸せは相対的に測ると不幸しかない

『他者と比べて自分の価値を測る』ってのは不幸しか生まないと思う。いわゆる相対値での比較。

どんなに高い山も富士山と比べたら低い。だからといって、近場の低い山を見て「俺の方が高いぜ!」なんてお山の大将になっても、どこかで上に出会い凹む。

ジネスの場であれば他の会社や同僚と比較し切磋琢磨することも大切だろう。それで奮起することだってよくある。

でも、人生や生き方というパーソナルな部分に関しては相対的に考えない方がいいんじゃない?

 

他者評価より自己評価を優先する

誰かと比較をして自分が幸せかどうかと考えてると、いつまでたってもツライ。他人からどう思われるか、どう見られるかとう他人の評価を気にしすぎるのもキツイ。

だから僕は自己評価、自己満足を意識的に優先するようにしてる。自己チューって意味ではない。思いやりとか共生とかそういうのは大前提。

(人との比較とかは全くせず)自分が楽しいかどうか、自分が幸せに感じるかどうか。そこを大切にしようと意識してる。

※意識してるけど、出来ないことも多々ある

 

結論:誤解を恐れずに言えば…

「部屋で1人、大きく爽快な屁(オナラ)をこいてニヤッとなり幸せに感じる」

あの感覚を大切にしてる。

あんなもん人にお見せするもんでもないし、比べるともんでもない。

 

幸せかどうかは、気持ちよく屁をこいた時の爽快感くらい、自己満足で決めればいいんじゃないの?

 

おならをならしたい

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