【前編】28歳の雇われ社長だった僕がサラリーマンを辞め独立した理由

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独立して2015年10月で5年目。

5年前のあの時、自分はどんなことを考えてサラリーマンを辞めたのか、入社から退職までを振り返ってみることに。

長いので前後編に分けときます。今日は入社〜名古屋転勤時代まで。(今回は辞めた直接の理由は書いてません。あしからず。)

 

 

24歳の時、フリーターを脱出しウェブ制作会社に再就職。

最近noteに書いているんですが、僕は19歳から5年ほどフリーターをしてました。

自虐的 フリーター放浪記|花屋ツトム @hanaya111 |note

 

そんな僕は24歳の時、もともと得意だったウェブ制作を仕事として本気でチャレンジしようと考え、制作会社の面接に行きました。(16歳でネットにはまり、テキストサイトやブログを自作してました)

 

スーツなんてほとんど着たことなかったけど、上下で15,000円くらいの安物スーツを購入し、面接ではハッタリをかましながらも、なんとか受かりました。

 

実務経験はなかったので、とにかく勉強をしなければと考え、半月後の入社まで必死で勉強。

 

そしてはれて入社。同世代の先輩達からレクチャーを受け、1週間くらいで職場には慣れました。たしか当時スタッフは10人未満。

 

 

思ってたんと違う。ぬるすぎる環境が嫌になり退職すらよぎった。

僕はそれまでのフリーター時代、自己嫌悪のカタマリでした。せっかく18歳で就職したのにすぐにやめ、ドロップアウトしてしまった自分が情けなく嫌いでした。だから、この再就職では絶対結果をだそうと気合が入ってました。

 

しかし、いざ実務が始まるとなんだか違和感がありました。当時はまだCSSをがっつり使えなくてもウェブ屋を出来るような時代でしたが、僕は半月でCSSを出来る限りマスターしてから入社。

 

するとなんと、僕が1番CSSをマスターしているという状況だったんです。みんなtableをガンガン使うし、divタグの使い方もむちゃくちゃ。

 

そんな状態にくわえ、売上単価も高く儲かっていたのか、入社から1ヶ月であれよあれよと人が増え、20人近くになったころ、社内の雰囲気がいっきにぬるくなってきました。

 

僕の上司にあたる人は

『そこそこでいいよ、適当にやろう。どうせ安月給だし。』

というようなスタンス。僕は自分の人生を変えるために入社したのに…。

 

これじゃあ俺まで腐ってしまう。ラストチャンスかもしれないのに。すぐにでも転職作業を開始しようかな』

と、入社後2ヶ月も立つ頃には思い始めてました。

 

 

帰宅したら夜な夜なデザインの勉強を繰り返す日々

僕はもともとコーディングの方が好きだったんです。というか、まともなデザインソフトを持ってませんでした。そんな僕ですが、会社支給でfireworksというウェブデザイン用のソフトを渡されました。

 

家でも使っていいとのことだったので、帰宅後はデザイン本片手にひたすらサンプルデザインを真似して作り続けてました。(会社ではデザインを教えてくれる人すらいなかった。)

 

ぬるさに嫌気を感じつつ、久々の大人数の職場で楽しくもあり、悩ましい日々。

 

そして3ヶ月たったとき、

『よし。研修期間も終わったし、デザインもそれなりに形に出来るようになったし、ポートフォリオも作った。マジで転職活動をしよう。』

と決めた矢先、会社でこんな噂が出回っていました。

 

『なんか名古屋に支店立ち上げるらしいぞ。取引先の営業会社で間借りするらしい。大阪から2人くらい行かされるらしい。俺たちは絶対行きたいない。だるいわぁ。』

 

と、上司が言っていました。行くべきじゃない理由をひたすら語る先輩たち。

 

 

『僕、名古屋に行かせてください』と自ら志願

僕は、行かない理由や、行くと損をするという講釈をたれて回る先輩や上司が嫌いでした。

 

年齢は2つ3つ上くらいだったので同世代でしたが、

『3年後、こんな風になりたくはない』

と本気で思っていました。

 

そこで僕は、 

『どうせ転職するなら支店立ち上げにチャレンジしてからにしよう。本質的には環境を変えたいだけだし。』 

と、自ら志願。

 

その申し出を聞きつけた先輩からは随分説得されましたが、なんの未練もありません。

 

一緒に名古屋へ行く人が誰になるのか、ギリギリまでわかりませんでした。そして一緒に行くことになったのは、1歳年下の先輩。僕より1年くらい早く入ってた人。

 

僕は年齢に関してなんのこだわりもなく、やる気のある人なら誰でもいいと思っていて、この先輩もやる気まんまん。そこで2人でご飯にいき、僕の内情を伝えると

 

『せやんな。俺もあいつらのぬるい感じマジで嫌で、辞めようかと思ってたとこやってん』

 

と、まさに同じ気持ち。

 

 

『大阪のやつらを超える結果をだそう!』と名古屋へ出陣。

23歳の先輩と24歳の新人(←僕)。先輩はディレクションメイン(たまにデザイン)、僕はコーディング&カンタンなプログラムとデザインメイン(たまにディレクション)という、バランスの取れた組み合わせ。偶然だけど。

 

ディレクションをたまにしてましたが、あんがい評判が良かったんです。フリーター時代に接客業が多かったので、コミュニケーション能力はわりと高かったんですよね、僕。

 

おかげで、僕らは2人だけで【打ち合わせ〜提案〜デザイン〜コーディング〜納品】という全ての工程を、名古屋支店だけで終わらせることができる状態でした。

 

そして名古屋で住む部屋なども決め、いざ名古屋生活がスタート。オフィスと自宅は徒歩で10分ほどの近所。

 

大阪本社は制作スタッフ・ディレクターがあわせて10人くらい。(20人くらいいたけど結構辞めていった)

一方、名古屋支店は僕ら2人。

 

『大阪の納品数を越えようぜ!!』

 

という目標を掲げ、一心不乱に働き始めました。ここからがとにかくハードだったんですよね。

 

 

8:30出勤〜23:30退勤の日々

一緒に働き始めて発覚したのは、先輩が時間にルーズだったこと。僕は以前から始業時間の20分は前に来てたので、名古屋でもそうしてたんです。(9時始業)

 

でも先輩は10時くらいに現れる状態。間借りですが、営業会社の人はもちろん何も言いません。(いや、のちのちこの辺りの態度が徐々に問題になるんだけど)

 

上司も誰もいない2人だけの支店。想像以上に案件が多く、連日23時過ぎに退勤する日々。

 

先輩の言い分として

『俺ら2人でよう働いてるやん。夜もめっちゃ遅いんやし、花ちゃんも朝は10時位に出勤でええよ。本社に俺が交渉するよ』

 

その言い分や気遣いもわかるんですが、大阪本社も仕事が多くなってきてて帰りが遅いのは聞いてました。だから、「大阪は人も多いんやし、ここで楽をしたら勝てないやん!」って思ってたんですよね。

 

だから僕は、どんなに遅く帰宅しても翌朝8:30には出勤することにしてました。

 

 

ひたすらハードワークを続けた結果、大阪本社の納品数を超えた

どのくらい経ってからか忘れましたが、いつの間にか僕らの方が納品数で大阪を超えました。

 

先輩は連日のように名古屋〜静岡、そして三重や岐阜などに取材に行きまくってました。(取引先からの下請け制作なので、営業エリアがかなり広域だったんです)

 

一方の僕は1日に5サイト(デザインが異なるものを合計30〜40ページ)コーディングしたり、何サイトもデザインしたりという毎日。そりゃ8:30にこないと終わりません。笑

 

その頃はタバコを吸ってて、室内も喫煙OKだったので、僕は1日2箱以上を吸ってました。そのくらいもうハードだしイライラする日々。(この多量喫煙で体調を壊し、タバコを辞めれたのは怪我の功名。笑)

 

そして途中からあまりに手が足りなくなり、大阪から名古屋にディレクターの出張サポートに来てもらうようになってました。名古屋案件のコーディングなどはほとんど僕がしてましたが、大阪がどうもトラブってる様子だったんです。

 

大阪のディレクターもコーダーも経験が浅く、納期もズレまくり。特にコーディングが遅くてとにかく終わらない。

※コーディングっていうのはデザインをウェブサイト化する、納品直前の作業

 

代理店(営業会社)やお客さんからクレームの嵐。

 

 

『大阪に戻ってきて立てなおしてくれ』との辞令

そんな状態で、コーディングが1番出来る+デザインも出来る、ってことで大阪に呼び戻されることになりました。

 

名古屋支店立ちあげのため転勤をし、11ヶ月くらいだったと思います。大阪本社にいた、僕より3つくらい年下のデザイナーが僕と入れ替わりで名古屋へ。

 

そんなこんなで単身大阪に戻ることに。それまで上司や先輩だった人の上に僕が立つことになったんです。課長として。たしか5月くらいだったかなぁ。

 

ただ、1つ聞かされてなかったことがありました。なんと、スタッフが9割辞めることになってたんですよ…。

 

ここから半年はマジで地獄のような日々でした。10人分の残された案件を新人2人+僕+残留組1人で回す日々。

 

包丁を持ったおばさんにブチ切れされたり、部下が軟禁されたり…。戻りたくない日々。

 

長くなったので、続きはまた今度。