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再起動戦士はなろぐZ

人生再起動中のメガネ野郎が書いてる日記

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自分が多数派の側にいると気づいたら、意見を変えるタイミングかもしれない。

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”自分が多数派の側にいると気がついたら、もう意見を変えてもいいころだ”

ーーマーク・トウェイン

 

こんな言葉を目にしました。

 

 

多数派に属することで得られる安心感

多数派に属することで得られる、最もわかりやすいのは安心感や安定感じゃないでしょうか。

赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいな言葉もありますが、確かに大勢の中で生活をすることは守られてる感じもします。

 

しかし、それは同時に没個性でもあると思います。個性とは良くも悪くも少数派。

 

 

個性的である必要はあるのか?

自分自身の学校教育経験を振り返えると、先生たちは個性的であることには否定的だったように感じます。

みんなと同じように、平均的な人間になることが善であるような価値観の中で過ごし、だんだんその価値観に自分も染まっていたのかもしれません。

 

自分自身、できるだけ平均的な人間であろうとしながらも、18歳で就職したのに1年で退職、ドロップアウトしてしまいフリーターとして過ごしていました。

普通のことすらできないのか…と落ち込み、自己嫌悪の強い日々が続きました。

 

 

そういう時代を過ごし、今32歳。

様々な経験を通じ、価値観も徐々に変化し、今では『平均的かどうかなんてどうでもいい。個性的であるべきだ。』という結論に至りました。

 

 

個性=過激とは違う

若いころに勘違いしていたことは、個性派とは過激派のことだと思ってました。派手なパフォーマンスをしたり、おおっぴらに誰かを批判したり。

そういう尖り方をする人が個性的な人だと思ってました。

 

でも違うんですよね。派手なパフォーマンスをしたり、安全地帯から石を投げるような批判をすることなんかどうでもいいしダサい。

そういうのを見ると見掛け倒しの偽物じゃないかとさえ感じます。

 

 

本来の個性派って、必然的に少数派になるんですよね。

少数派を目指す、ということではなく、気が付くと少数派になってる、ということ。

 

 

多数派を抜け、挑戦を続ければ勝手に個性がむき出しになる

そういう意味でも、自分の立ち位置や意見を常に確認し、多数派に属してると感じたらそこから抜け出し、あらたな立ち位置を探すことはとても大切だと気が付きました。

 

サッカーでいう”ホーム“でずっと過ごすより、”アウェイ”に自ら向かうべきなんじゃないでしょうか。

アウェイに向かうことは逆風もあるし、失敗もつきもの。友達が減るかもしれません。

 

それでもホームで温々と過ごす日々を捨て、次なる場所へ向かうことで将来的には大きな発展に繋がるように感じてます。

 

そして、多数派に属しているうちは個性は発揮されないと思います。発揮されても”常識の範囲内”の個性。

 

多数派を抜け自らの意志でチャレンジすることで、気が付くと個性がむき出しになってるんじゃないでしょうか?

 

 

サラリーマンが、とか、フリーランスが、とかに惑わされない方がいい

サラリーマンはダメとかフリーランスはいいとか、そういうことではありません。

 

サラリーマンでも勤め人でも個性を発揮ししてる人はたくさんいます。

逆に、なまじフリーランスで生活が安定し始めると守りに入る人もいます。

 

 

結局は自分自身の責任、自己責任でチャレンジするかどうか。

 サラリーマンであっても、覚悟を決めチャレンジすればいいだけのこと。

 

ついついいつもの流れでみんなでランチに行ったり、仕事終わってるけどダラダラ残業したり。

そういう多数派的な流れを断ち切り、昼ごはんは1人でさくっと済ませて本を読んだり、仕事が終わったら周りの目を気にせず退社して習い事をしてみたり。

 

 

環境を変えることも重要ですが、必ずしも職場を変えなくても出来ることはあるはず。

 

 

僕は『個性=過激』ではないと認識してからは、色々な形でチャレンジできるようになってきました。(結果的に過激に捉えられることもあります。でも、過激にしようとしてるつもりはありません。笑)

 

 

現在自分が多数派だと思う人で自分を変えたい人は、何か1つアクションを起こしてみてはいかがでしょうか?

 

 

▼嫌われる勇気を持てばずいぶん楽になりますよ

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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